私的「ぶっ生き返す」

久しぶりにインターネットで日記というか雑記といか備忘録というか。綴っていこうと思う。

何年ぶりだろう。打ち込んでは消して、を、繰り返している。私は説明したいのだろう。ここに至るまでの出来事を正確に順序だてて分かりやすく。それは非常に面倒くさく、というか、くそなのでやめる。

久しぶりだ。まず、自分が気持ちよくなるために文字を連ねていきたいと思う。

久しぶり、久しぶり、と言っても、説明したいけど上手くできなくて書くのをやめてしまうのは、前から変わらない部分でもある。それをぶっ壊す。

必要な自分というものは、どんどん変わってゆく。
とある時期を生き延びるため、生き抜く手段を無意識に学び、気付かないうちに染みついて自分のペルソナの一つになっている。そして、そのペルソナが必要な時期を過ぎても気付かずに、生きるための手札としていつまでも残っている。もう要らないのに。むしろ邪魔にすらなっているのに。
亀の甲羅のように窮屈になれば、剥がれ落ちて新しくなればいいのだけど、脳に染み着いたものは、自分で要らないことに気付いて、意識して手放す作業をしていかないとなかなか難しい。

私はひとりしかいないけど私を支えて時が来たら去っていく幾つもの自分がいる。

私はどこに向かうのかな。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

ゴッホゴーギャン展に行ったことがあった。でもこの絵はなかった。二人が過ごした時期がメインの展覧会だったから。

私たちは出会って別れてすれ違う。
どんなに最悪な時期でも、その瞬間を生きる自身は、代用がきかない。いつか不必要になって厄介でも、それはかけがえがない。

私と誰かなら目で見える分、わかりやすい。
私と私はわかりにくい。だから、わかりやすくするために、ぶっ壊すんだ。

生き抜いてくれてありがとう。お役御免なのに使いっぱなしでごめん。だから、もう充分だから、ありがとう。居るとまた使っちゃうから。やさしさを振り絞って、あなたを、ぶっ壊す。